東京・柳橋ってどんな町?名作ドラマ「イキのいい奴」の舞台になった花街を歩く!

東京都台東区にかつてあった粋な花街・柳橋。

その昔、NHKで放送された名作ドラマ「イキのいい奴」の舞台がその柳橋でした。

東京に旅行に行く機会を得た時、有名観光地をさておいてでも必ず行こうと決めていた場所でした。

今でいうところの聖地巡礼。渋すぎる感はありますが・・・。

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不朽の名作ドラマ「イキのいい奴」、「続・イキのいい奴」

1987年NHK総合で放送された「イキのいい奴」というドラマがありました。

これは戦後まもなくの東京柳橋の鮨屋が舞台となり、反骨心むき出しの青年が頑固な鮨職人の親方のもとに弟子入り。

ぶつかりながらも下町の人情に支えられて一人前に成長していくという素晴らしいドラマでした。

主演は名優小林薫さんと、当時は駆け出し若手俳優の金山一彦さん

口より先に手が出る頑固な親方役が素晴らしかった小林薫さん。

頑固ながらも純情一徹な若者を好演していた金山一彦さん。

脇を固める布陣がまたスゴイ。

若山富三郎さん、藤奈津子さん、松尾嘉代さん、花沢徳衛さん、地井武夫さん、かたせ梨乃さんetc…

と、いずれ劣らぬスター揃い。
若手だった当時の金山一彦さんの緊張感が容易に察せられますね。

主題歌が森進一さんの「男ばなし」


ドラマの内容と相まって素晴らしい一曲でした。

平均視聴率は水曜日の夜にして22.3%をたたき出し、1988年には続編である「続・イキのいい奴」が放送されます。

新レギュラーに増岡徹さん、石田えりさんらを加え、またまた高視聴率の平均22.8%をマーク。

二作ともに大ヒットを記録したドラマとなりました。

当時私は15歳でしたが、どちらもリアルタイムで見ることができました。

小僧ながら大変な感動をうけて、仕事、家族、師弟、人情とは何か?ということに大いに心揺さぶられた記憶があります。

大袈裟ではなくその後の人生において多大なる影響を受けた作品でした。

昔はこういう骨太なドラマがたくさんありましたね。

制約だらけの現代の制作現場では、こういう秀作はもう生まれないでしょう。

このドラマの原作は「神田鶴八鮨ばなし」で、著者の師岡幸夫さんが金山一彦さんが演じていた役のモデルです。

この原作も大変素晴らしい作品ですが、今では書店では手に入らないかなと思います。

ネットなどで探しましょう。

このドラマ、なかなか円盤にはならなかったのですが、今では二作共にDVDとして出ております。

これまで色々な人に視聴を薦めてきました。


もしかしたら現代の若い人には刺さらないかもしれませんが、是非とも見てほしいドラマなのです。

花街・柳橋

このドラマの舞台となったのが、今ではもう消えて無くなった花街・柳橋。

昔から東京には六花街と呼ばれた芸者町がありました。

芳町(今の人形町の一部)、新橋、赤坂、神楽坂、浅草、柳橋。

柳橋の地名は、神田川と隅田川の合流地点に架けられた橋がその名の由来です。

天保13年(1824)頃、時の老中・水野忠邦による天保の改革で禁止になった深川の岡場所(娼婦街)から流れてきた芸妓達により形成された花街が柳橋です。

芸は売るが身は売らないという粋な存在になっていった柳橋の芸者達。


もともと深川の岡場所にはこのような粋な芸妓が大勢いたそうです。

明治の頃、新橋にも花街ができると、柳新二橋と呼ばれ人気を二分して繁栄します。

代々遊びに精通した旦那衆に贔屓にされていた柳橋のほうが格も粋もはるかに上をいっていました。

柳橋の最盛期は昭和3年(1928)頃と言われ、料理屋と待合をあわせて62軒、芸妓366人という一大花街になっていました。

最も有名な料理屋は伊藤博文も通った「亀清楼」

さて、花街一番のイベントは何といっても隅田川の花火大会です。

現在の隅田川と違い、当時は無粋な堤防などありません。

風光明媚な立地ですから、川に面した料亭には桟敷が出来、川には1000隻を超える見物船が出て大変な賑わいだったといいます。

料亭の組合が花火をあげている時代があったといいますから、その隆盛ぶりがうかがえますね。

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時代の波に消えゆく柳橋

隆盛を極めた柳橋ですが、高度経済成長時代を迎え、その賑わいに影がさしてきます。

周辺の工場増加に伴い、生活排水や工場排水などによる川の汚染、交通事情による隅田川花火の中断などにより、花街は徐々に衰退し始めます。

とどめを刺したのが隅田川改良工事による堤防の設置と言われています。

川の風情が売りの柳橋の風景が、この堤防により一変してしまい花街の衰退が決定的となります。

時代も変わり、他の花街では観光客を受け入れるなどして敷居を下げ生き残り策に動き出します。

しかし柳橋は頑なにプライドを守り続けます。

芸妓の副業を禁じ、一見さんお断りを貫き、時代におもねることを良しとしませんでした。

こうして平成11年(1999)、最後の料亭「いな垣」が廃業し、約200年の歴史に幕を下ろすことになります。

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柳橋界隈の今

数年前に東京を訪れた時、ついに柳橋に行くことが出来ました。

雨のそぼ降る早朝に歩いたのですが、周辺はマンションやビルばかり。

しばらく歩いていくとありました!

ドラマで何度も出てきたあの緑色の鉄橋が。

下町まちしるべという説明板によると、現在架かっている橋は昭和四年のものだということです。

かつての花街の様子は微塵もありませんが、ただ柳橋藝妓組合料亭組合による供養塔のようなものがありました。

昔を偲ぶよすがは、この供養塔と鉄橋と川に浮かんだ船というところでしょうか。

私にとって柳橋やその界隈の雰囲気というのはドラマで見て膨らんだイメージなので、実際の柳橋を見た時はやはり感慨深いものがありました。

聖地巡礼する人達の充実感が分かった気がします。

東京の下町は風情がありますね。

アクセス

JR・都営地下鉄「浅草橋」駅、JR「馬喰町」駅から徒歩約5分

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