蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)という人物が注目を集めていますね。
ツタジューの愛称で呼ぶ人も多い知る人ぞ知る歴史上の人物です。
時の権力者となった老中・田沼意次の自由な空気の中で大いに花開いた江戸文化。
浮世絵の版元(現代でいう出版社)として多くのスター絵師を生み出した江戸のメディア王ともいうべき人物が蔦屋重三郎です。
2025年には大河ドラマの主人公として「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~」が決定しましたね。
ここから大注目の人物になること間違いなしのでしょう。
蔦屋重三郎とはどんな人物だったのか、掘り下げてみたいと思います。
蔦屋重三郎ってどんな人?
蔦屋と聞いて思い浮かべるのは書店とレンタルビデオの大手「TSUTAYA」ではないでしょうか。
諸説ありますが、「TSUTAYA」の由来の一つに蔦屋重三郎があることは確かなようです。
そんな蔦屋重三郎が生まれたのは寛延3年(1750年)2月13日。
江戸の遊郭「吉原」に勤めていた父親・丸山重助の子として吉原の貧しい家に生まれます。
幼い頃に両親と生き別れになってしまい、吉原の引手茶屋であった喜多川の家に養子に入ります。
「蔦屋」という名称は喜多川氏の屋号だったのですね。
その後、吉原の大門の前に貸本屋を開いて商売をスタートさせます。
24歳の時、それまで独占されていた吉原の遊女屋のガイドブック「吉原細見」の出版に乗り出し、後にそれを独占するまでになっています。
その後、多色摺りを導入して狂歌絵本や錦絵などで蔦屋ブランドを確立し、出版業を大きくしていきます。
多くの文化人と交流し、後に大スターとなっていく多くの若手絵師を発掘し、江戸の出版王として浮世絵の黄金時代を築いていきました。
浮世絵版画という業界は、絵師、彫り師、擦り師という三つで成り立っています。
その企画、制作、販売を担うのが版元(現代の出版社)です。
貧しい家に生まれ、親も金も絵の才能も無かった蔦屋重三郎。
江戸のメディア王として業界トップに昇りつめた粋な男です。
蔦屋重三郎は2025年大河ドラマの主人公!
この蔦屋重三郎がなんと2025年のNHK大河ドラマの主人公に選ばれました。
主人公・蔦屋重三郎を演じるのは若手実力派俳優の横浜流星さん。
大河ドラマといえばこれまでは有名な武将などが主人公として描かれることが多かったですね。
ところがここにきてあまり世間で知られていない文化人を取り上げるという驚きの人選でした。
タイトルは「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~」。
「べらぼう」とは「たわけ者」や「バカ者」という意味でしたが、時が経つにつれ「甚だしい」とか「ケタ外れな」という別の意味が主流になりました。
これには「普通ではない」とか「常識はずれな」スゴイ奴というニュアンスが感じられます。
後の江戸言葉「べらんめえ」の語源になったと言われています。
時代の常識をブチ破る「かぶきもの」や「バサラ」という言葉に近いですね。
常識はずれな発想と行動で新しいビジネスの形を生み出した姿に「べらぼう」な奴という言葉がピッタリきますね。
このべらぼうな男の周りに、一癖も二癖もある人物たちが絡んできます。
老中・田沼意次の活躍した時代、良くも悪くも自由な気風が満ちた時代でした。
そんな時代に花開いた町人文化の中、活き活きと暮らす江戸の人々の喜怒哀楽を描く作品になるのでしょうね。
放送100年の節目を飾るのに相応しい作品ではないでしょうか。
蔦屋重三郎をめぐる人物達
べらぼうな男・蔦屋重三郎の周りには、これまた負けず劣らずのべらぼうな人物たちが登場します。
田沼意次(たぬま おきつぐ)
徳川9代将軍・家重と10代将軍・家治の治世に老中として大いに権力をふるい、賄賂の横行など政治的には腐敗したが、統制の無いその自由な気風の中で町人文化が花開いた。
田沼時代と呼ばれたこのハチャメチャな時代があったからこそ、蔦屋重三郎の躍進もあったと言えるでしょう。
平賀源内(ひらが げんない)
エレキテルの復元や土用のウナギなど愉快なエピソードで有名な江戸の天才発明家。
蔦屋重三郎が若い頃に手がけた吉原のガイドブック「吉原細見」の序文を書いたのが平賀源内でした。
結果大いに注目を集め、蔦屋重三郎がブレイクするきっかけとなりました。
朋誠堂喜三二(ほうせいどう きさんじ)
本名は平沢常富(ひらさわ つねとみ)という江戸の戯作者・狂歌師。
実は名家・久保田藩の武士として江戸留守居役筆頭までつとめるお堅い人物。
「宝暦の色男」と自称して吉原界隈で黄表紙(知的な社会風刺本)作家や狂歌師として活躍する。
松平定信(まつだいら さだのぶ)
田沼意次の失脚後、次の老中として厳しい幕府立て直し策「寛政の改革」を推し進めた。
倹約将軍として知られる8代将軍徳川吉宗の孫だけに、流石に血は争えないといったところですね。
自由と娯楽を世の中に提供する蔦屋重三郎を激しく弾圧する。
名プロデューサーが見出したアーティスト達!
版元として有名になった蔦屋重三郎のもとには、様々な天才たちが集まってきます。
その多くは蔦屋重三郎との出会いで大きく世に羽ばたくことになります。
キラ星のような天才たちを見てみましょう。
喜多川歌麿(きたがわ うたまろ)
美人画の第一人者として有名な浮世絵師。
蔦屋重三郎のもとで出版した花鳥や虫を繊細に描いた作品「画本虫撰」や「百千鳥狂歌合」が世間の注目を浴びる。
まさに蔦屋重三郎との出会いが転機となった画家と言えますね。
山東京伝(さんとう きょうでん)
江戸後期の浮世絵師・戯作者。
黄表紙や洒落本(遊郭での遊びを題材としたもの)の第一人者。
月に数日しか家に帰らず吉原で遊び倒していた豪傑。
割り勘の創始者という変わった一面もありました。
葛飾北斎(かつしか ほくさい)
「富嶽三十六景」や「北斎漫画」など、だれもが知っている作品を数多く残した浮世絵師。
後にヨーロッパで「ジャポニズム」というブームを巻き起こし、19世紀のヨーロッパ美術に大きな影響を与えた巨人ですね。
曲亭馬琴(きょくてい ばきん)
滝沢馬琴の名前で知られています。
誰もが知っている大長編「南総里見八犬伝」の作者として有名です。
山東京伝と親しく、蔦屋重三郎にも見込まれて手代として雇われていたこともある。
後に葛飾北斎と多くの作品を共作したりもしている。
十返舎一九(じっぺんしゃ いっく)
「東海道中膝栗毛」で有名な戯作者・絵師。
蔦屋重三郎の家に住み込み、用紙の加工や挿絵描きなどの仕事を手伝っていた。
後に蔦屋重三郎の薦めで多くの黄表紙本を出版して人気を得て、あの名作「東海道中膝栗毛」で大ブレイクします。
東洲斎写楽(とうしゅうさい しゃらく)
今なお謎の多い浮世絵師。
誰もが一度は見たことのある役者絵で有名ですね。
活動期間わずか10ヶ月という短さの中、あの役者絵28枚も出版するという多作ぶり。
これが「写楽は画家集団なのでは?」という写楽ユニット説の大きな理由となっています。
あっという間消えていった東洲斎写楽。
蔦屋重三郎の最大のマジックと言えるのではないでしょうか。
逆境をバネに権力と戦う蔦屋重三郎
天明6年(1786年)、絶大な権力を誇った老中・田沼意次が失脚すると、次の老中になったのが松平定信です。
それまでのユルユルだった田沼時代と真逆の厳しい改革「寛政の改革」を断行して幕府の立て直しを図ります。
倹約と統制の厳しい改革で、それを皮肉った太田南畝の「白河の清きに魚もすみかねて もとの濁りの田沼こひしき」の歌など、日本史の授業で習いましたね。
この寛政の改革の厳しい時代に、蔦屋重三郎の自由と政治風刺のスタイルは目の敵にされます。
自身も財産の半分を没収されたり、周囲や作家の中には江戸追放や命を落とす者まで現れるほどの弾圧ぶりでした。
ここでしおれていては「べらぼう」の名が廃る。
執拗に弾圧を受けながらも反権力を貫き通して、筆のみを武器として戦い続けました。
ペンは剣よりも強いのかどうか、蔦屋重三郎の反骨ぶりにも注目ですね。
まとめ
蔦屋重三郎、ざっと見ただけでも相当魅力的な人物でした。
この江戸の快男児、実は48歳の若さで亡くなってしまいます。
数え年で48歳ですから、実際にはもっと若いですね。
若くして奇抜なアイデアで江戸の版元としてのし上がり、天才アーティスト達を見出し世に送り出す。
まさに江戸の名プロデューサーでした。
寛政の改革で厳しく弾圧を受けるも、持ち前の反骨精神で果敢に体制に挑んでいく姿がまた粋ではないですか。
この蔦屋重三郎が2025年の大河ドラマでどのように描かれるか、楽しみで仕方ありませんね。
最後までお読みいただき有難うございます。
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