Vシネマの帝王と呼ばれ、コワモテ俳優としてのイメージが強い俳優の竹内力さん。
代表作の「ナニワ金融道」などで有名ですが、俳優になる前の若い頃、本当に金融の世界で働いていたことがあるそうです。
なんと、ワイルドで強面の今のイメージとは真逆のお堅い銀行員だったそうです。
今回は竹内力さんが若い頃に銀行マンとして勤めていたのはどこの銀行で、どんな銀行マンだったのかを調べてみました!
竹内力が勤めていた銀行はどこ?
高校を卒業後、竹内力さんは銀行に勤めることになりますが、勤め先の銀行はどこだったのでしょう。
「大阪の都市銀行。いまの三菱UFJ銀行ですね。時代とともに統合しました」
竹内力さんが就職したのは当時の三和銀行淡路支店(淡路は兵庫県の淡路島ではなく大阪の淡路)。
現在の三菱UFJ銀行淡路支店ですね。
高校からの推薦で、地元大分から大阪に転居しての就職でした。
銀行員時代の写真を見ると、たしかにこれはファンが多かったのもうなずけますね!
竹内力は元銀行員で成績トップの営業マン!
16歳の高校時代から髪型はパンチパーマやリーゼントだったという竹内力さん。
それでいて何故か担任の先生が推薦したのはお堅い銀行員でした。
「一切、勉強はできません。高卒ですから。でもなぜか運よくいい担任と出会いまして、そういう企業に推薦で入れました」
こう語って謙遜されている竹内力さんですが、かなりヤンチャをしていてもキッチリお堅い企業に推薦してもらえているのは、普段から色々な場面で努力をされていたからではないでしょうか。
担任の先生もそこを評価されての推薦だったのではないでしょうかね。
さらにこう語る竹内力さん。
突っ張ってても単車に載ってても、道徳心があれば、教師に好かれてしまう」
後に銀行員として窓口に出た時、多くの女性客のファンが出来たそうですし、さらに俳優として現在も活躍し続けているわけですから、若い頃から何か人間的に人を惹きつける魅力があったのでしょうね。
ともあれ、学校推薦という形で銀行に就職した竹内力さん。
どんな銀行員だったのでしょうか。
竹内力の今ならアウトの営業テクニック
銀行員となった竹内力さんですが、高校時代と変わらず髪型はリーゼント。
ネクタイは緩めてシャツは腕まくりというスタイルだったそうです。
お客さんに対しても、「いらっしゃいませ」ではなく、「へい、らっしゃいませ」という挨拶だったというから驚きですね。
およそ銀行員には見えない風貌ですが、銀行内ではとても目立ってモテたのだそうです。
担当は普通口座預金窓口。
当時の普通口座預金の窓口は、複数あるにもかかわらず、いつも竹内力さんの窓口だけ女性客が行列を作っていたそうです。
そして、営業成績はなんと店内トップ!
その営業テクニックはどんなものだったのでしょう。
竹内力さん、利用客に対してとにかく親し気に話しかけます。
「おばちゃん、こんなに金が余っているんだから、5万円の積み立てしてよ」
こんな調子で話かけることで、「うちの息子みたいね」とかわいがられ、それが口コミで広がり話題を呼び、新規契約を次々に獲得していったのだそうです。
「うれしかったよ。5万、10万円の積み立てなのに、100万円の積み立てをしないとあげられない銀行の粗品である高級な皿をあげたりして。今の時代だったらアウトだけど。いや、その時もアウトか(笑)。でもおばちゃんが友達に宣伝してくれるのよ。そしたら、口コミでお客さんがどんどん増えて。結果が全ての世界なんだよ。リーゼントでも結果を出せば文句を言われない。銀行に限った話じゃないよな」
そこからの営業テクニックは少々グレーですが・・
竹内力が銀行を辞めたのは何故?
竹内力さんが銀行員として働いたのは僅かに約2年間でした。
では、お堅い職業として安定感を誇る銀行員を辞めたのは何故なのでしょうか。
竹内力さんは、高卒では支店長になれないということで、将来に不安を感じていたそうです。
また、利息などの意味がわからなかったため、仕事が面白く感じられなくなっていったのだとか。
そんな時、東京で暮らす先輩から、「東京は面白いぞ」と聞かされます。
これに触発されて、東京に出たくなってしまったのだそうです。
芸能界には後にスカウトされて入るのですが、当時は芸能界などは関係なく、「どこかで成り上がってやろうという気持ちがあった」という理由から東京行きを決めたようです。
俳優学校に行って俳優を目指そうと上司に相談しに行ったそうですが、その上司も竹内力さんには銀行員よりも俳優の方が向いていると思われたようで、夢を応援してくれたのだそうです。
そんなこともあり、約2年で退職した銀行ですが、退職に際しても円満退社だったそうで、なんと送別会を17回も開いてもらったのだそうです。
上司や同僚から相当に好かれていたという事が分かりますね。
やはり人を惹きつけてやまないキャラクターだったのでしょう。
まとめ
竹内力さんは高校卒業後、推薦という形で地元大分から大阪に出て銀行員として働きます。
勤めた先は旧・三和銀行淡路支店(現・三菱UFJ銀行淡路支店)。
担当したのは普通口座預金窓口。
銀行員とは思えない風貌でしたが、営業成績は店内トップを誇り、お客さんからも、上司や同僚からも大変人気があったようです。
約2年間勤めた後に退職して上京。
俳優として現在まで芸能界に確固たる地位を築く活躍をされています。
銀行員時代に習得した札勘定の技術が後に、主演代表作「ミナミの帝王」で大変役立ったようです。
Vシネマの帝王と呼ばれ、ヤクザ映画などで強面の俳優として活躍する竹内力さんの意外な過去である銀行員の姿を調べてみました。
最後までお読みいただき有難うございます。
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