大阪市内オススメの古代史跡、難波宮跡地をゆく

飛鳥から奈良時代、日本の中心はここ大阪の地でした。

それを今に伝える難波宮(なにわのみや)跡。

現在史跡公園として、市民の憩いの場所となっている難波宮跡地を歩いてみましょう。

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難波宮 概要

難波宮は、大阪市中央区法円坂一帯に広がっております。

日本書紀などの古代の文献などにその存在が表されるのですが、第二次大戦後まではそれが何処なのか不明でした。

大阪市立大学教授・山根徳太郎博士による長きにわたる発掘調査で、昭和36年(1961)その存在が確認されました。

大正時代、すでに瓦などの遺物が発見されていたのですが、戦時中に陸軍に用地接収されていたため、調査研究が出来ずにいました。

敗戦により、学術調査が可能になったのですが、都心部での建物や道路建設の合間を縫っての研究調査は、大変な困難の中続けられたそうです。

後の調査結果として、難波宮は前期、後期の二つの宮殿遺構があることが明らかになっております。

二つの難波宮

難波宮は史跡公園として整備が進んでいるのですが、前期と後期の遺蹟の違いを分ける工夫がされています。

大化の改新にともなう難波遷都の後に造営が始まった、難波長柄豊宮(なにわながらとよさきのみや)を前期難波宮として、地表より一段低くして赤いタイルを敷き、赤い御影石で柱の址を示し、サザンカの生垣を巡らせて分かりやすく示してあります。

都が飛鳥に移され、火事で焼失していた難波宮ですが、聖武天皇の命により再建され、再び遷都されて復活します。

こちらが後期難波宮。

地表より一段高くして、石造りで基壇を示しています。

また公園中央の北側には、大極殿址が復元され、上に登れば大阪城の眺望も楽しめます。

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難波宮周辺・憩いの場として

大阪市中央区のビジネス街であるこの辺りですが、広大な大阪城公園と難波宮という緑の塊のおかげか、高いビルも多く、交通量も多い割にはどこかゆったりとした風情があります。

難波宮公園は市民の憩いの場として、人々が集い思い思いの過ごし方を楽しんでいました。

本日散策していた時には、散歩する人々や、テントを張ってアウトドアな休日を楽しむ家族連れ。

基壇の上ではユーチューバーでしょうか、マイケルジャクソンのコスプレでキレキレダンスを撮影しているグループがいましたし、原っぱの方では、よさこいソーランの連が全体練習で汗を流していました。

この辺りから天王寺を経て住吉の辺りまで南に延びる一帯は、古来「上町台地」と呼ばれる小高い台地でした。

その台地の北側が、潮の早い海であったため浪速(なみはや)と呼ばれ、後に難波(なにわ)と呼ばれるようになったということです。

史跡も多いこの周辺の散策場所として、いくつか挙げてみました。

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大阪城公園

言わずと知れた大阪のシンボル。

豊臣秀吉の大阪城とその周辺の広大な公園です。

大阪歴史博物館

大阪の歴史と文化に関する展示が主な博物館。

難波宮が眼下に一望できる。

玉造稲荷神社

聖徳太子や豊臣秀頼もゆかりのある歴史の古い稲荷神社。

三光神社

真田幸村ゆかりの神社。

近くには、大坂の陣で活躍した出城「真田丸」跡もあります。

アクセス

地下鉄谷町線「谷町四丁目」駅下車すぐ

JR大阪環状線「森ノ宮」駅徒歩五分

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