2月11日は建国記念の日で祝日ですね。
なぜ休みなのかなと考えた時、「日本という国が出来たことを国民全員で祝いましょう」ということなんだなとザックリ理解しています。
他の国でも国家が生まれた日は、ほとんどが建国を祝うため祝日となっています。
例えばアメリカでは7月4日の独立記念日。
フィラデルフィアの大陸会議での独立宣言署名の日です。
フランスでは7月14日の革命記念日。
有名なフランス革命の発端事件「バスティーユ牢獄襲撃事件」の日です。
中国では10月1日の国慶節。
毛沢東が天安門広場で国家成立を宣言した日です。
では日本はというと。
初代の天皇である神武天皇が即位した日ということになっています。
ではなぜその日を建国記念日ではなく建国記念の日と呼んでいるのでしょうか。
この「の」には重要な意味があるのです。
建国記念の日の由来や意味を知ることで、この違いを理解していきましょう。
建国記念の日の意味とは何?
1966年に「国民の祝日に関する法律」が施行されます。
これにより祝日の名称、時期、目的などが定められました。
例えば元日や成人の日などといったものが具体的に決まったのがこの法律です。
この法律における建国記念の日の意味付けはこうです。
建国をしのび、国を愛する心を養う日
建国記念日とは、国家の基礎が出来上がった日を祝う日ということです。
この日は全国の寺社仏閣では様々な奉祝式典が行われます。
中には皇室から勅使が来る神社もありますから、国を挙げてお祝いをする日といえるでしょう。
建国記念の日の由来とは何?
建国記念の日は、初代天皇である神武天皇が即位した日に由来しています。
神武天皇即位日は「紀元節」と呼ばれ、1873(明治6)年、政府によって2月11日が祝日に制定されました。
この紀元節が姿を変えて現在に残っているのが建国記念の日というわけですが、建国記念日とは何が違うのでしょうか。
建国記念の日と建国記念日の違いとは?
紀元節とは初代天皇の神武天皇の即位日を祝って制定されたものです。
それが現在姿を変えた建国記念の日ということは、この日は神武天皇即位の日であって、日本という国が出来た日ではありませんね。
加えて神武天皇の存在が、神話のなかの伝説として非常にあやふやであるという事で、学術的確証が得られないため史実上の日を明確にできないのです。
世界的に「建国記念日」とは、建国した史実上の日を祝う記念日として制定されます。
これが不明瞭な日本の建国記念日は、日本が建国されたことを祝う日ということで、建国記念の日という表記を用いることになりました。
これが記念日と記念の日の意味の違いということになります。
この「日本が出来たことを祝う日」は一度姿を消して現在に蘇っています。
建国記念の日が生まれるドラマを最後に見てみましょう。
建国記念の日・まとめ
なぜ2月11日なのか?
神武天皇は初代天皇として「古事記」や「日本書紀」に登場します。
「日本書紀」の中で神武天皇即位の日は「辛酉年春正月庚辰朔」と記されています。
この「辛酉年春正月庚辰朔」を現代のグレゴリオ暦で換算すると、紀元前660年2月11日となるのです。
そのため、時の政府は2月11日を紀元節として祝日にしたというわけです。
戦後に消える紀元節
この祝日「紀元節」は、第二次世界大戦後に敗戦国となりアメリカの占領下におかれた際、GHQ(連合国軍司令部)により1948年廃止となります。
紀元節を祝う天皇崇拝の気持ちが、日本国民の団結を強固にすることを恐れたGHQによる占領政策の一環だったのでしょう。
戦後20年姿を変えて復活する建国記念の日
1950年代頃から、紀元節の復活を望む運動が盛んになり始めます。
保守派による立法化の動きもありましたが、天皇制に対する賛否両論の時世もあり、政党間でも激しい対立が起こり、なかなか意見の一致を見ませんでした。
「建国記念の日」が祝日に決まったのが1966年。
日本人の多くが建国を記念する日を望んだ結果でした。
国が成立した日が正確にはわからない中、神話の中の登場人物に建国の事実を祝う日を見出すところが実に日本人らしいですね。
先人の熱い思いに思いを馳せて建国の日を祝いたく思います。
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