独特の風貌で知られる俳優で舞踏家の麿赤児(まろ あかじ)さん。
人気俳優・大森南朋さんの父親としても知られていますね。
その麿赤児さんが主宰するのが「大駱駝艦(だいらくだかん)」という舞踏集団です。
なんとも独特な名称ですが、この大駱駝艦とはどういうものなのでしょうか。
マニアックな世界を調べてみました。
暗黒舞踏集団「大駱駝艦」とは
1972年に麿赤児さんが創設したのが暗黒舞踏集団と呼ばれる「大駱駝艦(だいらくだかん)」。
全身白塗りの男女が奇抜な踊りを舞うことで話題になり、これにより麿赤児さんの名前が世間に知れ渡りました。
暗黒舞踏とは何か?
そもそも暗黒舞踏とはどんなものなのでしょうか。
国際的にも知名度の高い舞踊家・土方巽(ひじかた たつみ)さんらを中心として生まれた前衛芸術の一つと言われます。
日本独自の伝統と前衛舞踊を混合したダンスのスタイルということだそうですが、全身白塗りで奇妙な踊りを踊る集団というイメージでしょうか。
また、その特異性から注目を集めたのがゴールデンズという集団ユニット。
ほぼ全裸で全身に金粉を塗って踊る金粉ショーが話題になりました。
1980年代には多くの流派に分派します。
主なものは、北方舞踏派、背火、山海塾、白虎社、ダンス・ラブマシーンなど。
基本理念「天賦典式」とは?
劇団にはそれぞれ基本となる理念があります。
それによりパフォーマンスの差別化が生まれ、その集団の特色が世間に認知されますね。
「大駱駝艦」の基本理念はどんなものなのでしょうか。
パフォーマンスの様式は天賦典式と呼ばれる「この世に生を受けたことこそ大いなる才能」というもので、「一人一派」というのが麿赤児さんの基本的な考えなのだそうです。
その様式は、舞台に大仕掛けを用い、観客を圧倒するスペクタクル性を持つというもの。
これが日本は勿論、1982年のフランス・アメリカ公園で大ブレイクします。
「Butho」という名が世界を席巻することになりました。
大駱駝艦の活動とは?
独特な魅力を持つ暗黒舞踏集団「大駱駝艦」。
旗揚げメンバーには、後に「山海塾」を立ち上げた天児牛大(あまがつ うしお)さん。
ダンサー・振付師として活躍した室伏鴻(むろぶし こう)さんなどが名を連ねました。
常に若手の育成に力を注ぎ、ここから多くの舞踏集団や舞踏家が生まれています。
吉祥寺にスタジオ壺中天(こちゅうてん)という拠点を設け、メンバーによる数々のユニット作品を上演しています。
また、一般の人向けのワークショップ「無尽塾(むじんじゅく)」を主催。
長野県白馬村で夏季合宿などが行われているそうです。
大駱駝艦のメンバーと寝食を共にし舞踏の稽古に励み、最終日には大駱駝艦と共同で野外舞台を公演するというなんとも濃い合宿です。
この野外公演は夏の白馬の恒例行事となったようです。
まとめ
舞踏家・麿赤児さんが主宰する暗黒舞踏集団「大駱駝艦」。
日本の伝統と前衛舞踊をミックスした独特の様式を持つ集団でした。
その様式は「天賦典式」と呼ばれる一人一派という考えに基づくものでした。
白塗りや金粉で全身を覆い、独特なダンスのスタイルで世界に「Butho」というものを認知させました。
毎年多くの公演をこなす「大駱駝艦」。
今後も世界が注目する演目が生まれていくことでしょう。
最後までお読みいただき有難うございます。
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