個性的な俳優として人気の大森南朋(おおもりなお)さん。
それもそのはず、実はご家庭は芸能人も多く個性派ぞろい。
特に父である麿赤児(まろあかじ)さんは、独特な風貌やその演技で人々を惹きつけ、長きにわたってコアなファンの支持を得てきました。
今回は大森南朋さんの父・麿赤児さんとはどんな人物なのかをまとめてみました。
大森南朋の父・麿赤児とはどんな人?
麿赤児さんは中高時代から演劇に目覚め、新劇女優・山本安英(やまもとやすえ)さんに共感して、彼女が木下順二さんと立ち上げた劇団「ぶどうの木」に参加しますが後に退団。
その後、舞踊家土方巽(ひじかたたつみ)さんに師事します。
この土方巽さんが仲間と共に創設したのが暗黒舞踏と呼ばれる前衛舞踊で、剃髪、白塗り、全裸など、現在まで続く麿赤児さんの舞踏スタイルはここが原点と言えるでしょう。
また、紅テントの「状況劇場」で有名な劇作家の唐十郎さんとの運命的な出会いにより、同劇団の設立に参加します。
唐十郎さんの提唱する劇団理論は「特権的肉体論」というもので、麿赤児さんはこれを体現する役者として活躍しました。
状況劇場を退団後、1972年に独自で舞踏集団「大駱駝艦(だいらくだかん)」を旗揚げしました。
積極的に海外公演も行い、舞踏を「BUTHO」として海外に広めるに至ります。
舞台や舞踏だけでなく、俳優としてテレビ・映画でも独特の風貌で存在感を示しています。
80歳を越えた今でも、各方面で活躍を続けています。
大森南朋と父・麿赤児の親子エピソードは?
実は麿赤児さんは大森南朋さんが子供の頃に離婚されています。
昔から父子は離れ離れの生活をしていたという事ですが、定期的に会ってはいたそうです。
大森南朋さんが子供の頃のエピソードとして、少し変わった愛情表現があったのだそうです。
まず麿赤児さんが大森南朋さんに自分の腕を噛ませる。
大森南朋さんが嚙みついたら、今度はその頭を麿赤児さんが噛むというもの。
親子間の愛情表現のスキンシップというところでしょうか。
そんな父子ですが、大森南朋さんに役者への道を開いたのは父である麿赤児さんでした。
高校時代にバンド活動に熱中し、卒業後も定職に就かずフラフラしていた大森南朋さん。
「ちょっとウチに来い」「役者になる気あるか」と麿赤児さん。
「いいよ~」と軽いノリの大森南朋さん。
こんな感じで父親のスカウトで俳優・大森南朋が誕生したそうです。
俳優としてお互いの作品を観ることもあるそうで、2011年の映画「まほろ駅前多田便利軒」では親子共演も果たしました。
役者としてお互いを刺激しあえる父子なんですね。
大森南朋の家庭は芸能一家?
大森南朋さんの父は麿赤児さんですが、ほかのご家族はどんな方々なのでしょうか。
実は大森南朋さんの家族もバラエティに富んでいます。
大森南朋の母・小林桃枝
大森南朋さんの母は小林(旧姓)桃枝さんという方です。
新宿で「ダダ」という自身の愛称を店名にしたバーを経営していた桃枝さん。
大森南朋さんの父・麿赤児さんとは、文化人の集まる新宿の喫茶店「風月堂」で運命的に出会ったそうです。
ちなみに「ダダ」とは秩序や常識を否定する芸術運動ダダイズムから来ています。
そんな愛称がピタリとくる女傑だったそうです。
大森南朋の兄・大森立嗣
大森南朋さんには2歳年上の兄が一人います。
映画監督として活躍している大森立嗣(おおもりたつし)さんです。
弟・大森南朋さんと父・麿赤児さんが共演した映画「まほろ駅前多田便利軒」で監督を務めていました。
大森南朋さんとはベタベタした関係ではなく、「どちらかが死んだら葬式に行くんだろうなという切っても切れない関係だと捉えている」と語っています。
大森南朋の妻・小野ゆり子
大森南朋さんの奥さんは女優の小野ゆり子さんです。
なんと18歳も年下の奥さんだそうです。
二人の熱愛発覚の頃、女優の蒼井優さんとの二股騒動がありましたね。
小野さんを大森さんに紹介したのは蒼井優さんだったらしいので、なかなかのドタバタ劇でしたね。
大森南朋プロフィール
- 大森南朋(おおもりなお)
- 1972年2月19日生まれ
- 東京都出身
- 職業・俳優、バンドマン
麿赤児プロフィール
- 麿赤児(まろあかじ)本名・大森宏
- 1943年2月23日生まれ
- 石川県金沢市出身
- 職業・俳優、舞踏家、演出家
- 暗黒舞踏集団「大駱駝艦」主宰者
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