学問の神様としてよく知られている天神様こと菅原道真公。
この方の誕生の地はあまり知られていないのではないでしょうか。
じつは関西には数か所、道真誕生の地があるとされていますが、今回はこちら「吉祥院天満宮」。
京都の西方、西大路を南下し、十条通あたりに鎮座しております地元密着感あふれる神社です。
公共交通機関ではバスに頼るしかなく、なかなか行きにくい場所かもしれません。
吉祥院天満宮概略
菅原道真は承和12年(845)に誕生し、十八歳で転居するまでこの地で過ごしたそうです。
延喜3年(903)九州の大宰府で没した後、怨霊となって京の都で暴れ回るのですが、時の帝・朱雀天皇の勅願により、承平4年(934)この地に吉祥院聖廟と社殿が建立され、怨霊鎮魂のため道真の霊が祀られます。
これが吉祥院天満宮の始まりで、有名な北野天満宮よりも創建が古いため、日本最古の天満宮とされております。
境内には色々な史跡が残っております。
胞衣(えな)塚
道真のへその緒が納められている。中心にへそを象徴した丸い石が据えられております。
朱塗りの柵の間から丸石を見ることができます。
産湯の井跡
道真の産湯を使った井戸の跡、社伝に基づいて復元されたもの。
茂った植え込みの下に目立たないがあります。
硯之水
道真が少年時代に習字に使ったという伝えがあります。
鑑の井遺跡
弁天社境内にある、道真が参朝の時に自分の顔を写したという井戸。
吉祥院の歴史
吉祥院天満宮、もともとの社格は村社で、菅原家が信仰していた吉祥天を祀る氏寺の中の神社だったそうで、神仏習合の仏堂建築です。
その歴史は道真の曽祖父・土師古人(はぜのふるひと)まで遡ります。
桓武天皇の平安遷都に際し、その共として入京した時に賜ったのがこの地で、ここに邸宅を構えました。
菅原姓に改姓したのは次の祖父にあたる清公(きよきみ)。
この清公が遣唐使として洋上にあったとき嵐に遭遇し、吉祥天の霊験により難を逃れます。
以降、菅原家では吉祥天信仰が篤くなります。
この地にあった自邸内に吉祥天を祀る吉祥院が建立され、開眼供養が比叡山を開いたあの最澄によって執り行われます。
この吉祥院が、この地の地名の由来になりました。
明治の廃仏毀釈の嵐の中、吉祥天像と吉祥院は守られ、今でも神仏習合の仏堂建築のまま現存しております。
神仏習合の名残 六斎念仏
この地は古くから六斎念仏が盛んに行われていた土地だそうで、今でも吉祥院六斎念仏として伝承されており、国の重要無形民俗文化財に指定されているそうです。
毎年4月25日の春祭りと、8月25日の夏祭りには、境内の舞殿で伝統芸能として奉納されています。
25日というのは天神さんの縁日ですから、各地の天満宮では色々な神事が行われます。
六斎念仏は、念仏を唱えながら踊る民俗芸能・民間信仰のことです。
発祥として有名なところでは、空也上人の踊り念仏がありますね。
吉祥院天満宮の六斎念仏は、保存会による太鼓や獅子舞などの演目が行われます。
この日は昼頃から夜の九時過ぎ頃まで縁日として賑わいを見せます。
天神様のふるさとはどこなのか
全国に天満宮はざっと約12000社あると言われています。
それぞれに様々な伝説などが残っています。
道真公の生誕地は数か所ありますと冒頭に述べましたが、よく言われているのは吉祥院天満宮を含め次のとおり。
菅原院天満宮神社
京都御所の下立売御門の向いに鎮座する神社。癌封じ、はれもの平癒にご利益あり。
菅原道真公産湯の井戸がある。
菅原天満宮
奈良市内、その名も菅原町というところにある天満宮。
菅家発祥之地・菅公御誕生所の碑が立っています。
こちらは産湯の池があります。
春には毎年恒例「菅原の里盆梅展」が行われます。
試みの大仏殿と呼ばれる喜光寺もすぐ近くです。
菅大臣神社
京都市下京区の街中にある神社。
この辺りは菅原家累代の邸宅があった地域で、道真公の屋敷もあったそうです。
ここにも産湯の井戸があります。
大宰府へ左遷され、都を去るにあたり詠まれた「東風吹かば にほいおこせよ梅の花 主なしとて春なわすれそ」で有名な「飛梅」の地でもあります。
アクセス
吉祥院天満宮
市バス「吉祥院天満宮前」下車徒歩約5分
菅原院天満宮神社
市営地下鉄「丸太町」下車北へ徒歩約5分
市バス「烏丸下立売」下車すぐ
菅原天満宮
近鉄「大和西大寺」下車徒歩約15分
近鉄「尼ヶ辻」下車徒歩約15分
奈良交通バス「菅原神社前」下車すぐ
菅大臣神社
地下鉄「四条烏丸」下車徒歩約5分
市バス「西洞院仏光寺」下車徒歩約2分
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