中国の歴史の中で、多くの人から人気を得ている「三国志」。
その中でも諸葛孔明という人物は天才軍師としてトップクラスで人気者ですね。
正史「三国志」ではなく、物語として面白く脚色された「三国演義」においては、もはや人なのか疑うほどの切れ者ぶりです。
そんな天才軍師・諸葛孔明が用いた数々の軍略を、10選の面白エピソードとして紹介します。
三国志の天才軍師・諸葛孔明の軍略とは
諸葛孔明は三国志の中の三大勢力「蜀」の国の軍師として活躍します。
同じく三国の「魏」や「呉」と比べてかなり劣る蜀が天下を三分できたのは、この天才軍師の神がかり的な軍略によってでした。
そんな諸葛孔明の軍略と、それにまつわるエピソード10選を見てみましょう。
天下三分の計
大国同士が覇権を争って戦えば、どちらかが滅びるまで悲惨な時代が続くことになるのですが、そこに第三勢力があれば絶妙のパワーバランスで均衡が保たれます。
魏、呉の二大大国に挟まれる蜀の国が生き残るには、この状態を目指すしかなかったわけですね。
例えて言えば、蛇、蛙、ナメクジによる三すくみの状態ですね。
天嶮の地、豊かな荊州と益州を手に入れて、一瞬とはいえ三国鼎立を成した孔明。
現代でも国家や企業に当てはめると、三大勢力の存在は良くも悪くも安定が続きますね。
三顧の礼
後に蜀の国を建国して世に出ることになる劉備ですが、そのために優秀な軍師を必要とし、隠棲していた孔明を招くべくその草庵を訪ねます。
しかし孔明は二度も適当な理由をつけて会うこともない。
失礼な奴だと憤る張飛と関羽をよそに、三度礼を尽くして訪ねる劉備の人物に惹かれて軍師となる孔明。
この時劉備は40代ですでに名を挙げていました。
対して孔明はまだ20代で名前も知られていない状態です。
目上の者が格下のものに礼を尽くすという故事で有名なエピソードですね。
ここには自分を賭けるに足る人物を測る孔明の自信と計算が見えますね。
良いものを得るには時間をかけるのが早道であることをよく知っていたのでしょう。
草船借箭の計
三国志の中でも大きな盛り上がりを見せるエピソードが「赤壁の戦い」ですね。
曹操の治める魏の国が大勢力で江南の呉の国に攻めてきます。
この時、劉備は孔明を使者として呉の国と同盟を結び曹操を迎え撃ちます。
ここで孔明の才を恐れる呉の国の軍師・周瑜(しゅうゆ)が無理難題を吹っかけてきます。
「大船団でやってくる曹操軍に火攻めを仕掛けるため、10万本の矢を用意してほしい」
これは孔明を退けるために周瑜の用いた策略でした。
ところが孔明は「3日で用意しましょう」と自ら期限まで切ってこれを受けます。
霧の濃い夜に藁人形を立てた船を出し、曹操軍に矢を射掛けさせて矢を回収します。
赤壁の戦い前夜の有名なエピソード「草船借箭(そうせんしゃくせん)の計」です。
東南の風を呼ぶ
赤壁の戦いの有名なエピソードのもうひとつはこれでしょう。
曹操軍の大船団に火攻めを行うためには、陸から海に吹く東南の風が絶対条件でした。
ところがこの時期は海から陸への北西の風が吹く季節でした。
悩む周瑜に対して孔明が「東南の風、吹かせて御覧に入れましょう」と言い放ちます。
祭壇を作り祈る孔明。
見事に東南の風が吹き、火攻めは大成功。
曹操の大船団は敗北して退却します。
実は地理や気象に通じていた孔明は、事前にこの時期に東南の風が吹くことを知っていて、それを奇蹟に見せかけたのではないかという説があります。
古代の雨乞いの儀式も気象学の応用だといいますから、この演出は天才的ですね。
空城の計
わずかの兵で城に立ち寄った孔明の軍でしたが、そこに魏の天才軍師・司馬仲達率いる大軍が進軍してきます。
兵力の差は歴然。
しかも相手は最強国「魏」の天才軍師。
戦えば全滅は目に見えていました。
ところが孔明は少しも動じることなく、城の門を開け放ちます。
そして明々とかがり火を焚き、門前に水をまき、孔明自ら琴を弾き、まるで客を迎えるかのような状態で待ち構えます。
魏の仲達はこれを怪しんで、「この余裕、おそらく伏兵が潜んでいるな」と深読みして退却します。
これが有名な「空城の計」ですが、けっこう博打的な策ではありますね。
しかし相手はあの天才軍師の司馬仲達です。
孔明は、仲達ほどの切れ者なら必ず疑って攻めてこないだろうと計算したのでしょう。
仲達もまた孔明なら必ず何か仕掛けているはずと思ったことでしょう。
天才軍師同士の先読みがあったから成り立った逸話だったのではないでしょうか。
この計略は、かの有名な「孫子」の中に出てくる兵法です。
これを孔明は巧みに用いたのです。
錦嚢の計
錦嚢(きんのう)とは錦の袋のことです。
この計略も「空城の計」と似ています。
大軍で攻め寄せる魏の曹操の軍勢。
城の守りに猛将・張飛を向かわせることにした孔明は、「ここに策を書いておいたので、危なくなったら見るように」と張飛に錦の袋を渡します。
大軍相手にわずかの兵しかいない張飛は「空城の計」を使います。
ところが流石の曹操はこれを見抜いて進軍してきます。
あわてた張飛が袋をあけてみたら入っていたのは何と白紙でした。
味方に騙されたと思って激怒する張飛が大声で孔明を罵ります。
その大声を外で聞いていた曹操もまた、この状況自体が罠なのではと深読みして退却していきました。
単純で短気な張飛と、疑り深い性格の曹操。
二人の性格をよく理解し、それを利用することで難を逃れたというワケですね。
「敵を欺くにはまず味方から」にも似た、人の心理を利用した妙計と言えるでしょう。
石兵八陣
義兄弟の関羽を殺され、怒りに燃えて無茶な復讐戦を吹っかけていく劉備。
有名な「夷陵(いりょう)の戦い」のエピソードです。
劉備の相手は呉の国の天才軍師・陸遜(りくそん)です。
ヤケクソになっている劉備では、この戦いは負けると見越した孔明の撤退戦略でした。
敗走ルートに前もって配置した巨石で、様々な罠を張り巡らせる謎の兵法です。
奇門遁甲、八陣遁甲ともいわれる陣の中で突風や竜巻、大波が起こるという不思議な術で、これにより陸遜は深追いせずに撤退しました。
地形や気候を読み、人の心まで巧みに操り迷宮に誘う幻術ですが、こんなことが本当にできたら誰も勝てませんね。
七縦七擒
魏の国へ攻め入る北伐に備え、南の勢力(現在の中国雲南からベトナム、北部ミャンマー辺りか)に楔を打ち込むため、南蛮平定に乗り出す孔明。
立ちはだかったのは南蛮王・孟獲(もうかく)。
ここで孔明は孟獲の軍を七回破り、そのたびに生け捕った孟獲を釈放しました。
ついに七回目には孟獲は逃げようともせず、南蛮平定が成ります。
孔明の南中懐柔策・七縦七擒(しちしょうしちきん)と呼ばれる計です。
ただ力でねじ伏せただけでは、遠方の平定は長く続きません。
リーダーを心服させることによって、その地の完全掌握は成るということですね。
カリスマ社長の多角経営術といったところでしょうか。
これにより後顧の憂いなく北に向かって戦力を集中できるようになったのです。
泣いて馬謖を斬る
孔明には将来後継者にと考えていた秘蔵の弟子のような存在がいました。
襄陽の名家、馬氏の五男・馬謖(ばしょく)という武将でした。
孔明からの信頼も厚く、指揮官となって北伐の軍を率います。
ところが北伐の街亭の戦いにおいて、孔明から「絶対にやってはいけない」と言われていた布陣を、部下が何度も止めるのも聞かずに敷いて惨敗してしまいます。
このため多くの将兵を失い、蜀軍の北伐にも大きなダメージが残りました。
孔明は泣く泣く馬謖とその部下を処刑し、自らも三階級降格という処分を下しています。
この一見厳しすぎる処分は、組織の維持のため重要な理念である「信賞必罰」そのももなのだといいます。
全体の規律を守るためには貴重な人材だとしても断固たる処分を行わなければならない。
身内や有益な人材ならば、特にそれを厳密にしなければ組織は瓦解します。
現代に重ねると、一族経営の企業などでよく聞く話です。
身内に甘ければ社内の空気は途端に乱れますからね。
そのことをよく表した故事として、「」は有名ですね。
これにより孔明のトップとしての威厳は揺るがなくなり、長い戦いの中での緩みのようなものが消えます。
馬謖は尊い犠牲だったのかもという穿った見方もできますね。
死せる孔明生ける仲達を走らす
有名な五丈原の戦いでの、諸葛孔明最後の大計略といえる痛快なエピソードですね。
いよいよ死期を悟った孔明は、自分の死後必ず魏の軍師・司馬仲達が大挙して攻めてくるのを予期して部下に策を授けます。
果たして孔明が没すると、大きな赤い流れ星が落ち、孔明の死に勘付いた仲達は大軍を率いて攻めてきます。
白帝城の門まで来た時、楼上に登場した孔明の姿を見つけ、慌てて退却する仲達。
あらかじめ部下に命じておき、自分の遺体を椅子に乗せて悠々とした姿で登場させた孔明。
死んでいる者がその威勢で生きている者を恐れさせる。
この痛快な策略は、三国志の物語中で一番の見せ場となっていますね。
実際には軍師を失った蜀軍が退却を始めたのを見て、孔明の死を予想した仲達がその機を逃さず攻め込みます。
その時、孔明の秘蔵っ子である天水の麒麟児・姜維という将軍がすかさず反撃をしたため、思慮深い仲達は孔明の生存の可能性も考慮し、深追いを避けたというところだと言われています。
現代でも生前影響力の大きかった人物には、よくこの手の逸話が残るものです。
諸葛孔明は本当に天才軍師だったのか?
三国志随一の天才として描かれる諸葛孔明ですが、本当にこんなスーパーヒーローだったのでしょうか。
同時代の軍師の中では、孔明よりも遥かにキレキレの活躍をした人物が何人もいました。
おそらくタレント揃いの魏の国や呉の国では、さしもの孔明もここまでの人気を現代に残せなかったのではないでしょうか。
敢えて弱小勢力に飛び込み、自分の価値を天下に知らしめた。
そこがまさしく天才軍師と呼ぶにふさわしい戦略だったのではないでしょうか。
大体の三国志モノ作品は孔明の死で終わるものが多いですが、実はこの後、三国が消滅して晋の国が成るまでがかなり面白かったりします。
機会があればその辺りも調べてみたいところです。
最後までお読みいただき有難うございます。
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