上岡龍太郎の引退理由は何だったのか?芸能界から完全に退いた理由が凄すぎる!?

2023年5月19日、元タレントの上岡龍太郎さんが亡くなられましたね。

40代以上の人達にとっては馴染みの深い上岡龍太郎さんですが、若い方々には「誰?」と思う人も多いかもしれないですね。

高い知性と教養を持ち、歯に衣着せぬ言動で関西を中心に多くのテレビ番組などで活躍されていましたが、2000年にスパッと芸能界から引退されて、亡くなるまで一切表に出てこなかったためですね。

上岡龍太郎さんが芸能界を引退したのが58歳の時です。

まだまだキレキレの状態でしたから、余力をたっぷり残したままでの突然の引退に世間は驚いたものでした。

飄々とした性格で、前言撤回も多かった人だけに「どうせまたすぐシレっと戻ってくるだろう」と多くの人は思っていましたが、本当に戻ってこなかったですね。

ここまで頑なに復帰しない芸能人は少ないだけに、その引退理由が何だったのか気になります。

亡くなられた今、改めて気になった上岡龍太郎さんの芸能界引退理由を調べてみました。

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上岡龍太郎の引退理由は何?

58歳で引退。

サラリーマンの定年退職も大体が60歳だった当時ですから、第二の人生を考える年齢であることには間違いないのでしょうが、そこは華やかな芸能界。

上岡龍太郎さんは多くの番組で活躍されていて、まだまだ人気も高かったですから、そんな中での引退は早過ぎると誰もが思っていました。

ところが当の上岡龍太郎さん自身は、「私は芸能生活40周年を迎える2000年の春になったら完全に隠居する」と番組内で公約されていました。

よくプロのアスリートなどは、一般人から見れば「まだまだやれるのでは?」という早い時期に引退することがありますね。

本人にしかわからないパフォーマンスの低下や、モチベーションの維持が難しくなったなど、色々な理由があったりします。

上岡龍太郎さんが引退した理由には、本人が色々な場所で色々な理由を語られています。

夫人の一言で引退を決意?

役者や芸人にとって滑舌の良さは仕事をする上で重要な要素です。

当時入れ歯などで滑舌が悪くなってしまった役者がよく目についたそうで、そこが気になった上岡龍太郎さん、傍らの夫人に言ったそうです。

「僕にこんな時が来たら言うてや」

その時の夫人の返しが「いま!」と一言。

スピード感ある言葉で芸能界を渡ってきた身として、引き際を意識させられたきっかけになったのでは?

しかしこれは夫婦間の笑いを込めたコミュニケーションと言えるのではないでしょうか。

あの老人は誰?で引退を決意?

とある舞台の出演時、控室で着替えをしていた上岡龍太郎さん。

ふと見た鏡に映った誰かの白髪交じりの後頭部。

「誰?あのおじいちゃん」

と思ったら、それは鏡に映った自分の姿だった。

自分の内面は変わっていないのに外見は確実に衰えている。

自分の姿が老人になっていることを自覚し、それが許せなかったという話です。

しかしこれも自虐ネタとして周囲を笑わせるネタなのではと思ってしまいます。

プロゴルファーを目指して渡米のため引退?

以前からゴルフにハマっていた上岡龍太郎さん。

アメリカに渡ってプロゴルファーになりたいと夢を語っていたこともありました。

余暇でゴルフやマラソンをされていることで有名な上岡龍太郎さんですが、流石に年齢的にプロの世界を目指すのはなかなか厳しいですから、これもジョークの一つだったのではないでしょうか。

過去の人にはなりたくないと思って引退?

ある日の新幹線の車内での出来事。

翌日共演する若手タレントが挨拶に来たそうです。

「明日はよろしくお願いします」と挨拶を交わした後、それから会話がまったく続かなくなってしまい、仕方なく「あ~、ほんならよろしく」と言って別れます。

この時、上岡龍太郎さんは自分が若い頃を思い返して愕然としたそうです。

自分が若い頃、売れなくなった大物タレントがする過去の自慢話がたまらなく嫌だった上岡龍太郎さん。

もしかしたら今の自分は、若手タレントからしてみればあの時の大物と同じ存在なのではないかと思ってしまったそうです。

自分が新しい時代から取り残されて、過去の人となりつつあることが我慢できなかったのではないでしょうか。

世代交代の波というのは確実にやってきますから、切ない話です。

上岡龍太郎は時代を見越して見事に去った?

色々な理由を挙げられていましたが、世間やタレント仲間からはどれも真剣に受け取られていなかったような感じがありました。

引退の口上では、「もう思い残すことはございません」と言葉を残してきれいサッパリと芸能界を引退されていきました。

結局この一言が本音だったのではないかと言われていますね。

漫才、タレント活動、音楽、司会とすべてやってきて、嫌味な屁理屈キャラクターとして全国で人気を博し、自分でやれることはすべてやり尽くした。

インターネット社会が普及し、テレビの世界が変わっていく転換期がちょうど2000年の頃でした。

冷静に自分の役割と時代の空気を読んで見事に去っていった上岡龍太郎さん。

「この世のことはすべて上岡龍太郎から教わった」と言っている人もいるのがうなずけます。

改めて上岡龍太郎さんのご冥福をお祈りいたします。

最後までお読みいただき有難うございます。

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